なんの落ち度もない善良な市民を100人虐殺した人でも死刑にしてはいけない、と言えない人は死刑廃止論者ではない。
昨今の厳罰化を求める世論には二つの側面があると思う。一つは刑罰が持つ抑止力への期待。もう一つは被害者感情への共鳴である。 前者に関しては、交通事故など加害者が正常な人間が多い場合には期待できるが、殺人犯のような常識を逸した人間に対しては期待できないということは薄々気づいている人も多いはずだ。最近は「死刑になれる」ということ自体が殺人動機になっており、死刑の殺人事件の抑止力に期待するのは限度があることが明らかだ。また最近は、犯罪者を顕名にすることをマスコミに求める世論が強く、実名報道が増えている。恐らく、顕名にすることは社会復帰を困難にし、加害者への重い制裁になると考えている厳罰主義者が多いのであろうが、実態は逆効果で犯罪を犯すことで有名になりたいという犯罪者の虚栄心を満たすことに協力するだけである。中には両親への連帯責任を期待した逸脱した私刑欲求から、犯罪者の両親のプライバシーを暴きネット
蒟蒻ゼリーは95年以降17人が死んで、最大手が製造中止に追い込まれたけど、死刑制度は何人の「罪のない犠牲者」を出したら中止されるのだろうか? 記者「死にたいと思い、その手段として事件による死刑を選んだのですか」 金川被告「そうです」 記者「自殺するという方法もありますが?」 金川被告「自殺というのはどんな方法であれ、自分で自分の体に痛みを加えることになるでしょう。そんな勇気はなかったですね」 《「当然でしょう」という口ぶりだ》 記者「あなたに刃物で切りつけられた被害者たちは、かなり痛みや恐怖を感じたと思いますが?」 金川被告「関係ないですね」 記者「傷つけた相手や遺族に対して、申し訳ないと思う気持ちは?」 金川被告「ないですね」 《ニヤリと笑う金川被告。その表情からは、罪のない2人の命を奪い去ったこと、7人の体を傷つけたことへの罪悪感、後悔が感じられない》 http://headlines
わたしは殺人事件の被害者遺族というのが大嫌いだ。 ――無論、全ての被害者遺族を知っているわけでは無い。 しかし、ただの復讐心で「容疑者を死刑に!」とばかり主張する人間には反吐が出る。 人として、身近な人間が殺されたのだから憤る気持ち自体は理解できる。 その気持ちは人として間違ったものでは無いだろう。 …だが、それを死刑制度に委ね、感情の赴くままに死刑を求めるのは愚の骨頂と言える。 まず第一に、死刑制度は遺族の復讐のためにある訳では無い。 あくまでも法律に則った刑の執行であり、 様々な事情や理由、責任能力などを考慮した結果下される裁きの一種に過ぎない。 勘違いしている人間もいるようだが、刑罰と言うのは被害者や被害者遺族のために存在しているのではない。 法治国家としての社会を守るために存在するのであり、 被害者や被害者遺族の報復手段でもなければ、気晴らしの手段でもない。 だからこそ全ての罪が親
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死刑でいいです --- 孤立が生んだ二つの殺人 作者: 池谷孝司,真下周,佐藤秀峰出版社/メーカー: 共同通信社発売日: 2009/10/02メディア: 単行本(ソフトカバー)購入: 14人 クリック: 380回この商品を含むブログ (30件) を見る 内容紹介 「私は生まれてくるべきではなかった」。そう言い残して2009年夏、25歳の若者は死刑になった。 16歳で母親を殺害し、少年院を出た後、再び大阪で姉妹刺殺事件を犯した山地悠紀夫元死刑囚。 反省はしないが、死刑にしてくれていい。開き直った犯罪者の事件が続く。秋葉原の無差別殺傷事件、茨城県土浦市の連続殺傷事件・・・。 彼らは他人と自分の死を実感できていたのか。死刑にするだけでなく、なぜそうなったのか、どうすれば防げるかを考えるべきではないか。そうでないとすぐ次の凶悪犯が生まれるだけだ。 事件を起こした山地悠紀夫死刑囚は少年時代に広汎性発
世界の三面記事・オモロイド 海外の珍奇な事件、事故、人間模様を伝えます。 検索フォーム Entries シリアルキラーの出現率は西高東低(米研究) Tweet アラスカの「屠殺パン屋」と呼ばれたシリアルキラー、ロバート・ハンセン [アメリカ発] 先般、米ラッドフォード大学シリアルキラー情報センターのデータ要約に、筆者自ら補足を加え分析したものを当ブログで公開したが(参照)、今回は連続殺人事件が他国に比べダントツに多いアメリカ合衆国に的を絞り、地理的側面からそのトレンドを探ってみることにする。 Tweet ▲ 2008-07-22 10:11 ヒトコワ・ホラー コメント : 0 トラックバック : 0 この記事に対してトラックバックを送信する(FC2ブログユーザー) http://omoroid.blog103.fc2.com/tb.php/228-67e06b47 0件のトラックバック 0
久間元死刑囚と不一致か=「犯人DNA型」ネガ鑑定-弁護団が発表、飯塚事件・福岡 福岡県飯塚市で1992年、小学1年の女児2人が**された飯塚事件で、死刑が執行された久間三千年元死刑囚=当時(70)=の弁護団は25日、被害者の体などから検出され、犯人のものとされるDNA型の写真のネガフィルムを専門家が鑑定したところ、元死刑囚のDNA型と一致しない可能性が浮上したと発表した。 弁護団によると、ネガフィルムは警察庁科学警察研究所に保管されているものという。 事件では、元死刑囚側が2009年10月、福岡地裁に再審請求している。 http://www.jiji.com/**/c?g=soc_30&k=2012102500835
先日のエントリの追記において再追記でブクマコメに応答すると予告していたけど、思っていたより多くのコメント欄コメント・ブクマコメ・トラバがついたので、独立したエントリで応答しますにゃ。個別の応答はパスね。 死刑願望による他殺の存在はガチだろ まず、死刑願望に基づく犯行について、毎日新聞と朝日新聞の記事の全文引用が載っているブログから記事を引用 2月に東京都新宿区にある神社のトイレでタクシー運転手の頭を金づちで殴ったとして殺人未遂容疑で逮捕された無職の男(31)も、昨年9月に広島・平和記念公園で男性を刺殺したとされる無職男(63)も「死刑になりたい」と動機を語ったとされる。 いずれも容疑者たちは「死にたいが死にきれなかった」などとも供述したという。特定の人に殺意を抱いたわけではなく、死刑制度を使って間接的に自殺を図ったというわけだ。 http://s19171107.seesaa.net/ar
戦争でもJR西日本でも「ノリの強要」で迫ってくるマルチ商法でも「俺がそれに従って欲しい」と言わず「みんなそれに従っているんだから、きみも従いたまえ」という言い方がムカつく。それが「下からのファシズム」を生み出すと書いてきた。 が、ひとつ補足しておくべきと思える重要な点がある。 それは、そのような「下からのファシズム」を作り出している人間も個々にはまったく善良な良い人間だということだ。 27日発売の『TONE』第2号上原正三インタビューでも、その点が繰り返し語られた。 島民に自決を依頼した(命令ではなく依頼だったかも知れぬが結果は同じようなものだ)日本兵も、現在の沖縄で暴行を働く米兵も、家に帰れば良い親父、良い兄貴なのだ。だが、それがそのよーな凶行を起こすのはいかなる心境ゆえか? 同じウルトラマンの脚本家ながら、本土と沖縄の友好的融和を信じようとした金城哲夫とは対照的に、所詮俺は異邦人さ、と
<宇井 宙(ういひろし):ちきゅう座会員> 1.総合人間学会関東談話会に参加して 先週土曜日(11月19日)、「小林直樹名誉会長著『暴力の人間学的考察』(岩波書店刊)を読む」と題した総合人間学会主催の関東談話会に参加した。会は、新著『暴力の人間学的考察』を出版された小林直樹氏(東京大学名誉教授、総合人間学会名誉会長)ご自身のお話の後、佐藤節子(法哲学)、長谷場健(法医学、分子生物学)、三浦永光(哲学)の3氏によるコメントとそれに対する小林氏の応答、最後に会場からの質疑応答、という順序で進められた。 小林直樹氏については改めて紹介の要はあるまい。長年、東京大学法学部で憲法の講座を担当される一方、護憲派の立場から憲法9条をめぐる論争をリードしてこられた反骨の憲法学者である。東大退官後は専修大学教授、北海学園大学教授を歴任され、大学教員を退職されて以後は人間学の研究に専念され、2003年には『法
推定無罪と厳罰化は別次元の話だ。むしろ厳罰主義を担保するにはより厳格な捜査、裁判が必要である。なぜならば世界で死刑が廃止された事例を見ると、冤罪処刑の直後が非常に多いからだ。世界で世論が死刑廃止を支持したケースはほとんどなく、早い段階で死刑を廃止した国は、いい加減な取調べや裁判で、無実の罪で処刑を行い、一時的に死刑制度への嫌悪感が高まった瞬間に死刑制度が廃止されている。その後冤罪処刑の記憶が薄れ、別の凶悪犯罪が起こると、ほとんどの国では死刑制度復活を支持する世論が高まるのだが、一度廃止した死刑制度を復活するのは極めて困難であることはご存知の通りだ。 ところが、諸ブログを見ていると、厳罰主義者に推定有罪論者が多い。凶悪犯罪者は無裁判即処刑にせよという暴論はともかく、凶悪犯罪者に弁護士は不要という言説はいたるところで散見される、凶悪犯罪者を弁護する答弁を聞いて腹が立つというのは感情論としては判
サブタイトルは「事実に対するシニシズム」 >b:id:gouk cf. http://b.hatena.ne.jp/gouk/20100126 , http://b.hatena.ne.jp/gouk/20100127 , http://gattee.net/talk/201001/201001post-89.html まずはじめに。私たちは通常ひとの言うことをいちいち眉に唾つけるような態度で聞くわけではないし、また関心事は人それぞれ、同じひとでも文脈によりそれぞれであるわけだから、「ついでに国民のほうは「隣の国がうるせーで、あの死んだにーさんたちが集まってる神社はなかったことにすべ」とゆいだした」だとか、“ゴボウを食べさせただけで死刑になった日本兵がいる”といった記述をついついスルーしてしまうことがあるのはまあやむを得ないことであります。 そうはいっても、特に“ゴボウを食べさせただけで死
昨年の7月に、私が司会をさせていただいたイベント「赦す権利〜被害者救済と修復的司法の可能性〜原田正治さんを囲んで」*1の記録が活字化されました。「赦せないからこそ、会いに行く」というタイトルで、『くらしと教育をつなぐ We』に、原田さんの講演部分が掲載されています。なかなか一般書店では手に入りにくい雑誌ですが、フェミックスのウェブサイトから通販で買うことができいます。 Femix information website http://www.femix.co.jp/ 原田さんは犯罪被害者遺族です。弟を殺され、過酷な状況を生きてこられました。加害者の長谷川さんは、裁判によって死刑判決をうけます。原田さんは、長谷川さんを深く憎んでいましたが、ある日、思い立って面会に行きます。その対話の中で、快復の予感を得て、面会を続けたいと考えます。しかし、死刑が確定となり、長谷川さんとの面会を阻止されます。
茨城県土浦市の連続殺傷事件で、18日、水戸地裁で行われた無職金川(かながわ)真大(まさひろ)被告(26)の判決公判。 金川被告は午前10時前、ベージュの上着に紺のジャージー姿で5人の刑務官に囲まれて入廷。あごひげが伸び、顔を少し紅潮させながら、口の中で舌を回すようにもぐもぐさせるしぐさを見せた。 鈴嶋晋一裁判長から「主文の言い渡しは一番最後にしますので長いすに座って下さい」と促されると被告人席に座り、時折、口をもぐもぐさせながら、前の検察官の方を見つめていた。 10時40分、鈴嶋裁判長から「主文を言い渡すので前に出て下さい」と促され、証言台の前で左足を少し前に出し、右肩を落とした姿勢で立った。 「被告人を死刑に処する」。鈴嶋裁判長が主文を言い渡しても表情は変えず、ただ、退廷する時、弁護人に向け、無言のままにやりとする表情を見せた。 傍聴席では、殺害された三浦芳一さん(当時72歳)の妻ふさ子
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