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中曽根康弘元首相が、戦時中に慰安所設置に積極的に関わっていた資料が防衛省の公開している文書の中から見つかったと、高知市の平和団体が27日、高知市内で発表しました。 明らかにしたのは、高知県内の戦争遺跡の調査や保存に取り組んでいる民間団体「平和資料館・草の家」の岡村正弘館長や馴田正満研究員(63)ら。 今回見つけたのは「海軍航空基地第2設営班資料」。当時の第2施設隊(矢部部隊)工営長の宮地米三氏(海軍技師)の自筆を含めた資料をもとに1962年に防衛省(当時庁)がまとめたものです(26ページ)。第2設営班の主計長が中曽根氏です。 資料には班の編成や装備、活動内容とともにバリクパパン(インドネシア・ボルネオ島)で飛行場整備が終わり、「氣荒くなり日本人同志けんか等起る」「主計長の取計で土人女を集め慰安所を開設氣持の緩和に非常に効果ありたり」(原文のママ)と書いています。バリクパパン上陸前の地図と上
今朝の朝日新聞に「私の「日韓」」と題し、中曽根元首相のインタビューが、韓国の金泳三元大統領のインタビューと並んで掲載されていた。 中曽根氏には、首相在任当時は「浮沈空母」発言などもあり、タカ派で超右寄りみたいなイメージを持っていたのだが、このインタビューを読むとずいぶんとリベラルに見えるのが興味深かった。 こじれていた日韓関係を打開した訪韓時、韓国語であいさつをし、韓国の流行歌を歌い、「我が国が多大な苦難をもたらした」と謝った。そのことを振り返り「日本は韓民族にずいぶん迷惑をかけてきた。(中略)反省と協力を行動で示す必要があった」「私は民族主義者だから、韓国の民族主義も理解していた。日本があれだけのことをやった以上、一度は謝らなければならない。総理大臣が『過ち』と述べて謝る。それが礼儀だという意識をもち、自分で考えたのです」と述べているのだ。 永住外国人の地方参政権についても「僕は原則とし
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