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事業仕分け,花盛り.仕事柄,科学研究費関連のあれやこれやの議論などを中心に散見.「国民の前で議論を公開する」と言われましても,そもそも,なぜ,他ではない「この」事業が仕分けの対象として選択されたのか,の部分や,仕分け人から繰り出される疑義や意見に対する「利害関係者」からの応答・反批判等々に割かれる時間はそもそもないか,あるいはあまりにも不十分なので,「議論」ではなく「裁定」だけが「公開」されているんじゃないですかという,まあほとんどこの程度の素朴な感想に尽きる. 「議論」が公開されているというよりは,「議題(に決定したあとのもの)」から「議論の入り口(と考えるべきもの)」(←その実,相当程度最初っからあったとおぼしき「議論の結論」(?))のところだけが公開されてる感じ? 公開すべき「議論」というのは,第三者=事業仕分け人からの疑義や意見(そのなかには相当程度真っ当なものももちろん多く含まれ
書くことがまとまらなくてやや時期を外してしまった感はあるものの。 先日、綾戸智恵がテレビで、単身アメリカに渡るときにお母さんから言い渡された4ヶ条を紹介していた。その中のひとつに「レイプされそうになったらさせなさい」というのがあったのだが、これを聞いたときに、以前本で読んだ門野晴子さんの言葉を思い出した。 門野さんが娘さんに告げたという、「もしも運悪く、レイプされそうになるようなことがあったら、下手に抵抗しようなんて思わなくていい。とにかく生き延びることだけを考えろ。生きて帰って来さえすれば、あとはあたしが全力であんたを守ってやる」というもので、かなり前にライブラリーで立ち読みしただけなので(今その本を探してるんだけどまだ見つからない)もしかしたら全然違っているかもしれないが、私の中にはこういう言葉として残っているということで。 実はこの言葉をちょっと前にも思い出していて、それは例の沖縄の
インデント記法 僕はいつも ユメタウンなどの 地元の町にも 旅行先の町にも 大学の帰りみちにもありそうな スーパーで売られている そこらへんの カルビーの ブラウンシュガーとチョコパフィ という 誰でも食べたことのあるような 価格も手頃で 大学生のおさいふにもやさしい 便利で 普通な シリアル を おいしくいただくために 6:4から7:3くらいの比率で チョコチョコしすぎず かつあっさりしすぎない程度に いつもの コーヒーを飲みながら 甘さと苦さを交互に味わう という 自分のスタイルに合った甘さに 加減して ブレンド することで 単純な 数日連続で食べていると すぐに飽きてしまい やっぱりパンも買っておけばよかった ( ただし パンだけよりも とろけるチーズなど 味複雑化兼高エネルギー化添付物 などと とっさに名づけてしまうような ( 実際には そんな名前は とっさに出てこないけど ) パ
分離脳についての実験からは「説明装置」とでも呼ぶべき機能が左脳側にあることが示唆される。たとえ(分離脳の状態になければ右脳から送られたであろう)正しい情報がなくても説明装置はとにかく結論を出す。 端から見ている実験者の立場ではそれはどう見ても作話であるのだが。どうも(少なくとも言葉で説明ができるような)自我は、脳で働いている様々なモジュールがそれぞれ高度に専門化された仕事をこなした後の最終結果しか知らされていないようである。 交通事故などで手足の神経を損傷した患者が「これは私に見つからないように隠れている他人の腕なんだ」とか「誰かが死体の腕をくっつけたのだ」とか、かなりトンデモない考えを抱くようになることがあるという。これは必ずしも現実を受け入れたくないがための通常の精神作用のひとつとばかりとは言えないようだ。 というのも全くの健康な被験者であっても、鏡などを巧みに使ったトリックによって自
人はどんな時に陰謀論にはまるのだろうか。 衆議院選挙で「刺客」を送られて自民党を追われたうえに惨敗した時、ユダヤ陰謀論の甘いささやきに乗ってしまった。 せっかく防衛大臣にのし上がったのに、あっという間に内閣が崩壊し、その後自民党総裁選に立候補して憧れの「純ちゃん」の支持も受けたのに、地方票ゼロという赤っ恥をかかされ、総理大臣への道が怪しくなった時、幸福の科学がささやいたかどうか知らないが、「中共の陰謀」論に乗ってしまった。 いっとき総理大臣候補といわれた人物では、「刺客」は軽く一蹴した大物だったけれど、病に倒れてしまい復党もかなわないうち、「タイミングよくパンダのランラン(ママ)が死んで、何らかの策謀があるんじゃないかと言う人もいた」とテレビで発言するに至ってしまった。もっともそれ以前から、「アインシュタインの予言」*1を信奉していたけれど。 その人物の一番弟子が開設している人気ブログのコ
■ 英語では /i/ と /ɪ/ は一つにならないため、"seeing" は /si/ と /ɪŋ/ の 2 音節からなる。 人間が音素ではなく音節を処理単位としていることは実験で明らかにされている。人間の長期記憶は無制限だが、短期記憶には限界があり、一度に 6 ~ 8 個の情報しか記憶できない。この限界を魔法の数 7 という。それ以上記憶するには、反復学習して長期記憶に移すしかない。電話の市内番号は最大 8 桁なので短期記憶で対応できるが、それに数桁の見慣れない市外番号が加わると短期記憶の限界を超えるため、メモを見ないで電話するのは難しい。 魔法の数は記憶の種類によって分かれている。人間が言葉を聞くとき、音を処理する部分と意味を処理する部分が同時に働く。それに応じて、音のための短期記憶と意味のための短期記憶がある。そして人間は 7 個の音素ではなく 7 個の音節まで短期記憶できることが分
こうせう なお、この表中の語が全て奈良時代から使われていたわけではない。奈良時代ならそう発音されただろう、という表である。 中国語には声調と呼ばれる発音の違いがあり、例えば現代中国語で ma という発音は、高音なら「媽」(お母さん)、上昇音なら「麻」、低音なら「馬」、下降音なら「罵」を表す。日本人が漢字を輸入した時これらの声調は全て失われたので、中国人が区別していた発音を区別できなくなった。それでもなお、現在「こうしょう」と発音される語に、「かうしゃう」、「かふしゃう」、「かうしょう」、「かうせう」、「かうせふ」、「くゎうしゃう」、「くゎうしょう」、「こうしゃう」、「こうしょう」、「こうせう」の 10 個の発音があった。平安時代に入り、語中のハ行がワ行に転じた。これにより、「かふ」が「かう」に、「せふ」が「せう」に合流した。次に室町時代になると「おう」が「おー」に、「えう」が「よー」に転じ
小飼さんの書評が気になって『黒山もこもこ、抜けたら荒野 デフレ世代の憂鬱と希望 (光文社新書)』を買いに走った。ロスジェネのひとりとして非常に共感できる内容だ。僕も感じていた親や社会への違和感について淡々と社会学的に分析しつつ、諧謔を交えて繊細なコトバにまとめるセンスはタダモノではない。これなら不毛な論争を惹起せず、勝ち組、負け組、老若男女を問わず課題を共有して対話を始め得るのではないか。 評に反して極めて現実的かつ建設的な政策提言も行われている。年齢差別の禁止や中途採用中心の人材登用は諸外国では一般的で、その気になればすぐにでも実現できる。非正規雇用の比率制限も、業種業態によって不公平が生ずる懸念もあって個人的には反対だが、正規雇用と非正規雇用との格差是正と階層間流動性の担保は何らかのかたちで進める必要がある。 しかし日本はいつから、著者のいうところの「羊狩り社会」となってしまったのだろ
曾野綾子の「世代」に注目しろ、との話を読んで、 でも、この戦後の時期に、数には出ない多くの、いわゆる「ぱんぱん」風ではない良家の女性たちが強姦されたと聞いたことがあるし、 それを噂ですら聞いたことがなかったらしい曾野綾子は思春期時代も今と同じく、鈍感な女だったとしか私は思わない。 もし「どんな時代」を「どういう人として生きたか」で考えるのなら、「女の嫉妬」で見た方がわかりやすい気がする、 「私が若い頃にはそんなきれいな服を着てみたくても、戦争のせいで「もの」がなかった、そもそもそんな「自由」がなかった」 戦争に「青春を奪われた世代」としての哀感、「自由」のなかった女性としてのあがき、それならば多少は共感できないでもない。 楽しく、美しく、「男の視線」をひく装いに身をやつせなかった「若さ」は、もうかえってくるものではないのだから。 幸いにして、私は「ワンレン・ボディコン」世代で、その手の「流
産経新聞に曾野綾子氏が書いたコラムが話題を読んでいるようです。全文は強姦するのが男の性なら去勢するのが自己責任でしょ - フランチェス子の日記で読めますので、未読の方はまずそちらをどうぞ。 あたしがこのコラムで気になったのは以下のくだりです。 ヨーロッパ在住の日本人が驚いているのは、日本の女子校が、どうして制服にあんな短いスカート丈を許すのか、ということである。あれでは男たちに手を出してください、といわんばかりですね、と彼らは言う。 太ももの線丸出しの服を着て性犯罪に遭ったと言うのは、女性の側にも責任がある、と言うべきだろう。なぜならその服装は、結果を期待しているからだ。 それ、根底から間違ってますよ曾野綾子さん。 ミニスカートは1950年代に英国でマリー・クワントによって発明されました。クワントがミニスカートを作った目的は男性の誘惑ではなく、 税金対策(当時の英国では丈が短ければ『子供服
あらゆるポーズが可能な“素体”フィギュア 可動部分は80カ所 2009年12月 2日 Infostand さまざまなポーズをとれる可動フィギュアはマニアの間で人気だが、関節の曲がりに限界があって、思うようなポーズにならないことも多い。少女型素体フィギュア『S.F.B.T-1』は、この点を改善し、80カ所もの可動部分で人体の自然な動きを忠実に再現した。そして実になまめかしい、あやしい魅力を持っている。 「S.F.B.T-1(サフビット1)」は「Special Fullaction Body Type-1」の略で、6分の1スケールのデッサン用“可動素体”人形だ。人体の動きの流れを美しく表現することを追求し、従来のデッサン用素体(ポーズ人形)やアクションフィギュア、球体関節人形(カスタマイズドール)のいずれとも異なる。 全身206ものパーツをハンドメイドで組み上げた精巧な作りで、屈伸や胴体のひね
はてなグループの終了日を2020年1月31日(金)に決定しました 以下のエントリの通り、今年末を目処にはてなグループを終了予定である旨をお知らせしておりました。 2019年末を目処に、はてなグループの提供を終了する予定です - はてなグループ日記 このたび、正式に終了日を決定いたしましたので、以下の通りご確認ください。 終了日: 2020年1月31日(金) エクスポート希望申請期限:2020年1月31日(金) 終了日以降は、はてなグループの閲覧および投稿は行えません。日記のエクスポートが必要な方は以下の記事にしたがって手続きをしてください。 はてなグループに投稿された日記データのエクスポートについて - はてなグループ日記 ご利用のみなさまにはご迷惑をおかけいたしますが、どうぞよろしくお願いいたします。 2020-06-25 追記 はてなグループ日記のエクスポートデータは2020年2月28
「ポリガミー」というセクシュアリティがある。 一対一の関係が正しいとする人を「モノガミー」といい、相手が複数いても大丈夫と考える人は「ポリガミー」という。もともとは人類学の用語で、一夫多妻制や一妻多夫制をさす言葉だったが(一夫一婦制が「モノガミー」)、主にセクシュアル・マイノリティの間で複数の相手をかけもちする関係をいうようになっている。 モノガミーが男女二元制やジェンダーの相互補完性(という幻想)を前提にして成り立っていると考えるなら、そこに属さないマイノリティはモノガミーを選ぶ必要がないし、むしろそれらに対してラディカルに挑戦するスタンスとしてポリガミーを主張することもあるだろう。 とはいうものの、思想的にポリガミーを選ぶというのは、ラディカルフェミニストが思想的にレズビアンを選ぶというのと同じように、無理のある話だと思う。思想がセクシュアリティを規定することはありえない。思想が必要な
オランダの研究チームが世界で初めて人工食肉を作ることに成功したそうだ(本家/.)。 英テレグラフ紙の報道によると、この研究では生きている豚の筋肉細胞を採取し、培養液で育て筋組織を作ることに成功したという。誰もまだこの人工食肉を味見してはいないとのことだが、現段階では「ベシャっとした豚肉」といった感じだそうだ。研究者らによると、この組織を運動させることができれば早ければ5年以内にソーセージなどの加工用食肉製造を実用化できると考えているという。実現すれば1頭の家畜から100万頭分以上の食肉を作ることも可能になるとのことで、温室効果ガス削減にも効果があるとのこと。 屠殺を伴わないため「倫理的な反論はない」とするベジタリアン関連団体や動物保護団体も多いそうだが、ベジタリアン協会は「屠殺された食肉と人工食肉とを信頼できる方法で区別することは非常に難しいと思われ、人工食肉であることを保証できるかどうか
今年もお世話になりました、すべて「あなた」のおかげ。 スゴい本は多々あれど、独力で発掘できるはずもないので、スゴ本を読んだ「あなた」を探す。好きな本ばかりで食傷気味で、お山の蛙か、井の中の大将になったつもりのわたしにとって、「あなた」は良い刺激であり指針でありアドバイザーなんだ。 そう、好きな本だけ読むのもいいし、本屋さんだけで事足れりとしてもいい、それでも読みきれないほど。そして、自分の周りに壁を築いて、ヒキコモるのもアリ(わたし自身がそうだった)。時折みかける独善に陥っている人を反面教師として、自らを戒める。ブンガク小説ばっかり読んで、世界を分かった気になっている人、科学リテラシーこそ全てで他はクズだとのまたう人、それぞれの得意分野では天狗だろうが、外から眺めていると、こっけいで仕方ない。 そんな「わたし」にならないために、広く、深く、遠くまで「あなた」を探す。「あなた」のおかげで、こ
吾妻ひでおの発言に端を発したのか、Twitter上で「けいおん!」批判が巻き起こっていたようだ。 『けいおん!』批判Twit勝手にまとめ - 愛・蔵太のもう少し調べて書きたい日記 twitterを駆け巡った『けいおん!』語りの仮まとめ::クリティカルヒット 読んでみたら、音楽(バンド)の描写が足りないこと、「練習していない」ことへの批判が目に付いた。本当にそうだろうか? 例として、象徴的なカットを。 実は12話「軽音!」でいちばんぐっときたカットがこれ。 いわゆる指回しなんだけど、フィンガリング(指使いですね)の向上に効果があるとかないとかいわれている。ギター始めたばかりのころ、コレとか左薬指で机たたいたりとか中指と薬指の間に物を挟んだりした経験のある人は少なくないんじゃないかなあ。憧れてたギターを手に入れたはいいものの全く思うように弾けなくて、上手くなるため手当たり次第ためしてみる。唯が
666さんのhttp://d.hatena.ne.jp/n_euler666/20091201 にインスパイアーされたんだが、 考えがまったくもっとまとまらないので適当に書く。 ・じゃあ「岡ひろみ」は持てる者なのか持たざる者なのか これが分からない。 エースをねらえは最初 岡ひろみ(持たざる者) ⇔ お蝶夫人(持てる者) という感じで出てくるんだけど、 ひろみは挫折しつつもお蝶夫人を超えていく。 類似したというか、一種のパロディ・オマージュであるのが 「トップをねらえ」と「カレイドスター」 それぞれ ノリコ ⇔ カズミ ソラ ⇔ レイラ という対比になる。 展開も大体そのまんま。 結果的には「持てる者」達を超えていくんだけど、 彼女達はみんな最初は「持たざる者」だった。 「努力」とか「挫折」とかそういったもので話を作っていく 「持たざる者」で始まる一つの典型。 余談ですが、この典型では「
「事業仕分け長の枝野自身が語る事業仕分けについての解説」 http://www.edano.gr.jp/om/0911/091114.mp3 公式ページはこちらです。 http://www.edano.gr.jp/om/om-info.html 無断で勝手に文字起こしをしました。ご了承ください。 (2009-12-05追記) 誤字の指摘をいただきましたので修正しました。 (2011-01-06追記) 微修正して再公開します。 ここから 2009年11月のオープンミーティング開催報告 テーマ:事業仕分けと予算編成 日時:2009年11月14日(土)14時00分〜 会場:大宮ソニックシティ国際会議室 たくさんの皆さまにお集まりをいただきましてありがとうございます。 事業仕分けということで、これだけ連日報道していただいておりますので、やっていること自体、みなさんご存知だと思いますが、正確に言いま
本日、Google 日本語入力 (ベータ) をリリースしました。 Google 日本語入力は Windows (現時点では 32 ビットのみ) および Mac に対応した日本語入力ソフトウェア (インプットメソッド) です。豊富な語彙と強力なサジェスト機能で思いどおりの日本語入力をサポートします。 Google 日本語入力は桁違いの語彙力を持っています。Web から機械的・自動的に辞書を生成することで、人手ではカバーしきれないような、新語、専門用語、芸能人の名前などを網羅的に収録しています。高い変換精度を実現するために、Web 上の大量のデータから統計的言語モデルを構築し、変換エンジンを構成しています。現在の Web のありのままを反映したインプットメソッドと言えます (この辞書および統計的言語モデルの作成は Google の大規模分散処理システム MapReduce を用いて、数千台規模
東浩紀id:hazumaくんの母校がCLANNADのモデルになったとかで盛り上がっているが、ぼくがいま母校について話をするとなると、これが途端にヘヴィなものとなる。 悪名高い「愛知の管理教育」の影がちらつくからだ。 確かにひどい状況にあったのは一部の学校に限られるのだけれど、愛知県で高校生活を送った者にとっては、程度の差こそあれ、当事者席に座らされる話題だと思う。 県立東郷高校を頂点に、無意味な校則と教師による暴力行為が吹き荒れたことについては、知っているひとも多いと思う。詳細については、当時、果敢にも学校側に異議申し立てを行った内藤朝雄氏のテキストを読んでもらいたい(http://web.archive.org/web/20020105160847/park.itc.u-tokyo.ac.jp/kiss-sr/~naito/newpage8.htm)のだが、この問題は、蛮行の直接的な被害
議論をするときにもっとも危険な状態になるのは無能な味方がやってきたときだろう。無能な味方はなぜかこちらの意見のもっとも脆弱な部分を誉めそやし、敵に付け入る隙を与えて去っていく。本当の敵はお前か? 有能な敵はこちらの議論の要諦を踏まえて建設的な議論を行ったうえで自分の主張を通そうとする。結果、決着がつかないまでもお互いの中に何か有益なものを残しつつ、終結することが多い。 一番やっちゃいけないことは、味方だと思って賛同者に自動的にコミットしてしまうことかな。 あと、視点をころころ変える人。視点を変えること自体は問題ないんだけど、全方位で自分が正しいなんてことはまずありえない。だから、視点を変えたときに自分が不利な見方ができるのであれば、それはその視点では自分が正しくないことを認めたほうがあとあと都合がいい。そこで突っ張ろうとすると、またしても無能な味方が現れて、全方位援護射撃をするつもりで味方
_Vice Versa: Bisexuality and the Eroticism of Everyday Life_ by M. Garber*1 ものすごく昔に買って、その厚さにうんざりして本棚に放り込んだまま失念し、二年に一度ほど「あ、これそのうち読まなくっちゃね。うふ」などと思って、でもそれはいつでも「そのうち」であって「今」ではないのでまた本棚に放り込み、そのまま失念する、という作業を繰り返してきた本。 研究会があったので渋々読みました。途中まで。 わたくしがまともに読んだのは前半部分のみで、そこは結構興味深い。具体的にバイセクシュアリティがいかに不可視化されてきたのか、バイセクシュアリティが「大流行!」(疫病のごとく*2数十年周期で流行するようです)する時でさえそれがいかにあたかも「バイセクシュアリティ」ではないような捉え方をされていったか、そういう話はなかなかにスリリングだ
これ、ずっと、「女が好きな女=レズAVの登場人物みたいなエロエロの存在」という偏見のせいかと思っていたんですが、もっと根深い理由に思い当ったので、メモ。 創作物の中のレズビアンやバイセクシュアル女性が「24時間、女と見れば相手構わず欲情するセックスモンスター」みたいに描かれてしまいがちなのは、とどのつまり、「この社会の中では、女性は、女性相手に欲情している瞬間以外は自動的に異性愛者だと判断されてしまうから」なんじゃないでしょうか。 たとえばですね、 朝マックで朝食をとっているOLさん 自転車漕いで学校に向かう女子中学生 淡々と授業を受けてる女子高生 コンビニでレジを打つ女性アルバイトさん ……なんていう、特に誰に向かっても欲情を示していない状態にある女性は、たとえセクシュアリティについて何の表明もしていなかろうと、全員自動的に「異性愛者である」と判断されてしまいがちなわけですよ、この「人類
「なにをやっても許される」からこそ、嫌がらせがなくならない。 何ヵ月も嫌がらせをしていた人物が、共同体で認められてしまう。 「何をやっても許される」とき、ゆるす側が脅されており、ゆるす側自身がナルシシズムで依存している。 「ナルシシズムを認め合う」という関係作法しかないのだ、今の支援業界には!*1 「ひきこもり経験者からの被害は、すべて我慢してあげる」…それが支援者たちのナルシシズムになっている。 支援される側どうしの関係も同じ。 支援とは、集団の関係作法を考え直す運動であることに誰も気づいていない。 ただ笑顔でナルシシズムを容認し合えばいいと思い込むのは、自分の首を絞めている。――DVと同じロジックが、支援業界に蔓延している。 支援者は、自分が社会に認められない埋め合わせを “支援” でしている*2。 承認されない者どうしの関係で、「笑顔の我慢」だけが許される。 なぜ、目の前の関係のため
昨夜ある人と話していて、ソーシャルとコミュニティの違いというのはソーシャルウェブサービス事業者の中でさえ理解していない人がまだまだたくさんいるのだという話になった。 私自身はウェブに関して長らく作る側より使う側にいたのでソーシャルとコミュニティがまったく違うものというのは自然な体感があって、それを同一視するという感覚はあまりよくわからない。 ソーシャルというのは人一人ひとりが固有にもつ小社会のことであり、ある人にとっての関係性を持つ相手たちとのリンク全体を指す。鳥瞰するとハブ&スポークのような形になる。 コミュニティというのはみんなの集まる場のことであり、そこに集まる誰にとっても同一のものである。鳥瞰するとスクウェアのような形になる。 ソーシャルは個が主体であり他とのリンクで構成される。コミュニティは場が主体であり個の集合によって形成される。ソーシャルは分散、コミュニティは集合。 ソーシャ
「やっぱり社長は楽しい。だって、自分ですべて決められる。大変だとか、孤独だとか、いろいろ言うけど、自分で決められるのは、何事にも替え難い喜びです」 これは以前、世界に通じるワザを持つ中小企業を取材する番組で出会った、ある会社の社長が語っていた言葉である。社長という立場がもたらす喜び――。おそらくこのトップは、それがいかに“危険な感情”なのか、気づいていなかったのではないだろうか。 知人のA氏がトップの座についたのは、昨年の春。先代の社長は会長になり、A氏も社長の喜びに浸れるはず……だった。 「こんなことを言ったら罰が当たるかもしれないけれど、どこか悪くなって入院して欲しいとも思ってしまう。役員面接もセットしてやっと中途採用を決めたのに、会長は突然NGを出した。一度はOKを出し、やっぱりダメと言い出した。内定を通知していたから既に相手も退職届を出していて、結局、違約金を払うことになったんです
モントリオール大学の科学者たちが普段からポルノを見る男性とポルノを一度も見たことがない男性を比較研究するための調査を実施しましたが、ポルノを見たことがない20代の男性が1人も見つからず、研究は頓挫してしまったそうです。 しかし、男性は例外なくポルノを見るという実態が明らかになったほか、ポルノ視聴についてのさまざまなデータも採集できたようで、当初の目的とは違ってしまったもののなかなか興味深い調査結果となっています。 All men watch porn, scientists find https://www.telegraph.co.uk/women/sex/6709646/All-men-watch-porn-scientists-find.html 20代の男性で普段からポルノを見る人と、ポルノを一度も見たことがない人を比較する研究は、ポルノを見たことがない被験者を1人も見つけられなか
性犯罪と自衛についての散々ループしているお話について。 今回の火元はこちらの曽野綾子の記事らしい。 強姦するのが男の性なら去勢するのが自己責任でしょ - フランチェス子の日記 http://d.hatena.ne.jp/Francesco3/20091129/1259458069 で、それを受けた下の記事だが、「また自衛厨か」と言いたくなるような内容でうんざり。 オタク入門中ブログ : 性犯罪的な意味のミニスカート論争はうんざり。 http://blog.livedoor.jp/entertheotaku/archives/51696237.html まずは、元記事を読んで 長いんだけどさ、要約すると、 私は好きなだけミニスカート履くし、一人で歩き回りたいんだよー。 ミニスカートに欲情する男?知るか! レイプは男が悪いんだから男が気をつけろ! ってことかしら。 という解釈をするあたりが、も
(あなたの地位と人脈は《スモールトーク》が決めている/ダンバー『ことばの起源』応用篇のサプリメントとして) どんな対人スキルもそうだが、理屈が完璧に分かっても、やり方を一人で100回繰り返しても、人に対して実際に使ってみないことには、結局ものにならない。 この段階で「引き返し」を続けるなら、情報をいくらクリップしつづけても、アイデアを何度と無く並べ替えても、あなたのライフ・ハックと人生は、デスク周りの領域に終始することになるだろう。 A:引っ込み思案や対人恐怖や社会不安は、対人スキルを使う機会を、そして身に付ける機会を奪う。 B:それどころか対人スキルを使う場面を回避することことが、さらに引っ込み思案や対人恐怖や社会不安を増悪させる。 AとBは、察しがつくように、悪循環を構成する。小さな不安から始まった回避は、やがて多くの生活時間を回避のために奪い、不安を手が付けられないほどに大きくするか
自衛厨の傾向のひとつに「ムラムラさせられたら襲われても仕方がないだろ。ムラムラさせるのが悪い」という発言もあるけれど、こういう人たちにはムラムラさせられたら自慰で発散するという発想はないのだろうか。 お腹すいてる時に焼きたてのパンを持っている人とすれ違ってより食欲が刺激されたところで普通は相手のパンを奪ったりしないだろう。 家に帰るなりどこかのお店に入るなりしてご飯を食べるのが普通だ。 そういう人の性欲は、刺激されたらもうすぐその場で相手に暴力をふるう形で発散しないとどうにもならないものなのだろうか? 家に帰るなり、家までも待てないなら近くの公衆トイレでオナニーするのではどうしてだめなのか。 ちょっとした刺激でもすぐに辛抱たまらなくなるんだとかいうなら、いろんなオカズで耐性をつけるようにして性欲をコントロールできるようにするのが自己責任なのではないのか。 今の日本でオカズに困ることなどほぼ
鹿児島県阿久根市の竹原信一市長(50)が自身のブログ(日記形式のホームページ)に「高度医療が障害者を生き残らせている」などと、障害者の出生を否定するような独自の主張を展開している。 障害者団体は反発、市議会でも追及の動きが出るなど波紋が広がっている。 ブログは11月8日付。深刻化する医師不足への対応策として、勤務医の給料を引き上げるべきだとの議論に対し、「医者業界の金持ちが増えるだけのこと。医者を大量生産してしまえば問題は解決する。全(すべ)ての医者に最高度の技術を求める必要はない」と批判。 そして、「高度な医療技術のおかげ」で機能障害を持ち、昔の医療環境であれば生存が難しい障害児を「生き残らせている」などと述べ、「『生まれる事は喜びで、死は忌むべき事』というのは間違いだ」と主張している。 知的障害者の家族でつくる「全日本手をつなぐ育成会」(本部・東京、約30万人)の大久保常明・常務理事は
相棒が働き始めましたにゃ。このご時世に正社員採用でもぐりこめて慶賀の至りにゃんな。だいたい定時で帰してくれるのはよいのだけれど、隔週土曜で仕事もあるし、朝は早いしで、今はペースをつかまなきゃならにゃー。当然ながら僕も家事分担が適正配分され、なかなか長い記事など書いていられにゃーのだ。 たまった宿題は暇をみつつやっていくしかにゃーようだ。 さて 今朝、テレビで米軍のアフガン増兵の話をしていましたにゃ。イランでやったのと同様の市民に紛れたゲリラ狩りを、アフガンでも今後大規模に行う予定とのこと。 戦争で心をこわしてしまう兵士については、ベトナム戦争以来の問題となっているけれど、今のメリケンでもやはり兵士の精神面のケアが問題となっていますにゃ。先月には、メリケンの陸軍基地で、こともあろうに精神科担当の軍医が戦地に派遣される前に銃を乱射し、12人死亡31人ケガという事件がおきてショックを与えています
2009/11/30 15:25、テルヤ寛徳衆院議員が自身のブログに書く(容易ならざる事態の進行)。 「12月7日にも政府方針が決定される、との情報を得た」 本日の新聞報道等をみるとテルヤ寛徳議員は、社民党の党首選に名前があがったり、様々な動きをなされているが、それもこれも「辺野古移設」という最悪の決定をさせないための「政治」なのだろう。テルヤ寛徳議員には最後まで奮闘して欲しい。 この情報に接してから、私も精一杯情報収集につとめたが、結果的に来週か再来週にでも鳩山首相が「辺野古移設」で決するという感触しか得られなかった。社民党の党首選がどうなろうと、最終的な結論を覆すことは至難の技なのだろうと思う。 民主党のデタラメさには、ほとほと呆れ返り、怒髪天を突く思いである。総選挙で当選した沖縄選出の民主党議員は全員辞職し、社民党・国民新党は連立離脱し、県民に懺悔した上で、政府に対する沖縄県民の抵抗
こうせう なお、この表中の語が全て奈良時代から使われていたわけではない。奈良時代ならそう発音されただろう、という表である。 中国語には声調と呼ばれる発音の違いがあり、例えば現代中国語で ma という発音は、高音なら「媽」(お母さん)、上昇音なら「麻」、低音なら「馬」、下降音なら「罵」を表す。日本人が漢字を輸入した時これらの声調は全て失われたので、中国人が区別していた発音を区別できなくなった。それでもなお、現在「こうしょう」と発音される語に、「かうしゃう」、「かふしゃう」、「かうしょう」、「かうせう」、「かうせふ」、「くゎうしゃう」、「くゎうしょう」、「こうしゃう」、「こうしょう」、「こうせう」の 10 個の発音があった。平安時代に入り、語中のハ行がワ行に転じた。これにより、「かふ」が「かう」に、「せふ」が「せう」に合流した。次に室町時代になると「おう」が「おー」に、「えう」が「よー」に転じ
新自由主義か社民主義かという議論は、正直空振りにあることが多い。なんやかんや、日本で常に支持されているベタな考えは「税金の無駄遣いをやめて、その分で社会保障を充実」という思想だからだ。これは55年体制時代から、現在まで何ら変わっていないということをこの頃痛感する。 55年体制というのは、公共事業型「大きな政府」の自民党と、社会福祉型「大きな政府」の社会党という対立構造であった。社会党は既に大きな政府である現状で更に大きな政府にするための「増税」を謳うことはなく、基本的に「税金の使い道を変える」ことを主張し、政府の増税策に対しては常に反対する立場を取ってきた。これについては共産党の同様の立場であった。 80年代末に、保守政治家の中から「税金の無駄遣いを止める」というような税金の使い道を変える議論が盛んに為されるようになった。その中で起きたのが自民党の分裂と新生党、新党さきがけ、日本新党の誕生
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